LOGIN付き合い始めて、一週間が過ぎた。
透と神谷は、毎日のようにカフェで会っていた。手を繋ぐことも、自然になってきた。でも、まだキスはしていなかった。神谷が、まだ躊躇っているのが分かった。透は、急かさなかった。神谷のペースで、いい。そう思っていた。金曜日の夜。透は、神谷と例の公園を歩いていた。「来週、休みが合う日はありますか?」透が聞いた。「えっと……」神谷は、スマホでスケジュールを確認した。「水曜日なら」<三年後──春の陽射しが差し込むカフェ。透と神谷は、窓際の席に座っていた。「ここ、本当に久しぶりだね」透がカフェラテを一口飲みながら言った。神谷も周囲を見渡して、懐かしそうに微笑んだ。「ああ。最初に、医師と患者以外の関係で話したのが、ここだった」「神谷さん、あの時すごく驚いた顔してたよね」「そうだったか?」「うん。『こんなところで会うとは』って顔してた」神谷は少し照れくさそうに笑った。「確かに、驚いた。偶然だと思っていたから」「俺も」透は窓の外を見た。「でも、今思えば、あれは偶然じゃなかったのかもしれない」「運命、とでも?」「うん」透は神谷を見つめた。「運命だったんだと思う」神谷の目が、優しく細められた。「……俺もそう思う」ふたりは、しばらく静かにコーヒーを楽しんだ。カフェには、穏やかな音楽が流れている。平日の午後、客はまばらで、ゆったりとした時間が流れていた。「そういえば」神谷がふと思い出したように言った。「透、今日は仕事休みだったのか?」「うん。有給取ったんだ」「何か特別な用事でも?」
◆春 桜の花びらが舞う、三月の午後。 透と神谷は、あの小さな公園を訪れていた。 出会ってから、もう二年が経とうとしていた。 「ここ、久しぶりだね」 透がベンチに座りながら言った。神谷も隣に腰を下ろす。 「そうだな。最後に来たのは……いつだったか」 「去年の夏だったかな」 透は空を見上げた。 「あの時は、すごく暑かったよね」 神谷は微笑んだ。 「透が、アイスを三本も食べた日だ」 「神谷さんだって二本食べたじゃん」 ふたりは笑い合った。 公園の桜は、満開だった。風が吹くたびに、花びらが舞い散る。 透は一枚の花びらを手のひらで受け止めた。 「綺麗だな」 「ああ」 神谷は透の横顔を見つめていた。桜色の光に照らされた透の顔は、穏やかで、幸せそうだった。 「透」 「ん?」 「今、幸せか?」 透は神谷を見て、少し驚いたように目を見開いた。それから、ゆっくりと笑った。 「うん。すごく」 神谷の表情が
同棲を始めて半年が過ぎた、秋の夜だった。透がキッチンで夕食の準備をしていると、リビングから神谷の声が聞こえた。「透、ちょっといいか」いつもより少し、硬い声だった。透は手を拭いてリビングに戻ると、神谷がソファに座って、何かのパンフレットを手にしていた。「どうしたの?」透が隣に座ると、神谷は少し躊躇うように視線を落としてから、パンフレットを差し出した。「パートナーシップ制度について」表紙にそう書かれた、市区町村が発行している案内だった。「これ……」透の声が、少し震えた。神谷は透の横顔を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。「この前、クリニックの患者さんで、パートナーシップ証明書を持っている方がいたんだ。ふたりで受診に来られて、とても自然に、お互いを支え合っていた」神谷の声は、静かで、でも確かな意志を含んでいた。「それを見て……俺も、透と、そういう関係でいたいと思った」透はパンフレットを手に取り、ページをめくった。パートナーシップ制度の説明、申請方法、必要な書類。活字が、透の視界に入ってくる。「法的な効力は限られているけど」神谷が続けた。「病院での面会や、賃貸契約での同居人証明、いろいろな場面で、ふたりの関係を証明できる」透は、パンフレットを握りしめた。「……神谷さん」「嫌なら、無理にとは言わない。ただ、俺は――」「嫌なわけない」
八月。 夏の暑さが、東京を包んでいた。 透と神谷は、それぞれの仕事で忙しい日々を送っていた。 ある週末の朝。 透は、珍しく早く目が覚めた。 隣で、神谷がまだ眠っていた。 穏やかな寝顔。 透は、その顔をじっと見つめた。 (この人と出会って、もうすぐ二年になる) 透は、そう思った。 あの日、眼科を受診したことから、すべてが始まった。 視線を逸らしていた自分。 本当の自分を隠していた自分。 でも、神谷と出会って、変わった。 透は、そっとベッドを出た。 キッチンへ行き、コーヒーを淹れる。 リビングに戻ると、神谷が起きていた。 「おはようございます」 神谷が、眠そうに言った。 「おはようございます」 透は、コーヒーカップを差し出した。 「ありがとう」 神谷は、カップを受け取った。 ふたりは、ソファに並んで座った。 「朝倉さん」 神谷が、コーヒー
七月の第一土曜日。 佐藤と美咲の結婚式の日がやってきた。 透と神谷は、朝から準備をしていた。 「このネクタイ、どうでしょうか?」 神谷が、鏡の前で聞いた。 「いいと思います」 透は、自分のスーツを着ながら答えた。 「先生、似合ってますよ」 「ありがとう」 神谷は、少し照れた。 「あなたも、素敵です」 ふたりは、鏡の前に並んだ。 スーツ姿のふたり。 「緊張しますね」 神谷が、言った。 「はい」 透も、頷いた。 「でも、楽しみです」 「公の場で、カップルとして出席するのは……」 神谷の声が、少し震えた。 「初めてですね」 透は、神谷の手を取った。 「大丈夫ですよ」 透は、微笑んだ。 「佐藤の友達は、みんないい人たちです」 「はい……」 神谷は、深呼吸をした。
五月に入った。 新緑の季節。 透と神谷の生活は、相変わらず穏やかだった。 でも、神谷の中には、ひとつの決断が芽生えていた。 ある夜、神谷は遅く帰ってきた。 「ただいま」 神谷の声は、少し疲れていた。 「おかえりなさい」 透は、キッチンから顔を出した。 「遅かったですね。大丈夫ですか?」 「はい……」 神谷は、ソファに座り込んだ。 透は、神谷の隣に座った。 「何かあったんですか?」 神谷は、少し迷うような顔をした。 そして、口を開いた。 「実は……榎本院長から、話があって」 「どんな話ですか?」 「新しいクリニックを、もうひとつ開きたいと」 神谷は、透を見た。 「そこの、院長になってほしいと言われました」 透の目が、大きく見開かれた。 「院長……?」 「はい」 神谷は、頷いた。 「僕に、任せたいと」